『多島海 Vol.1 特集:都市』巻頭言公開

以下は、2025年11月22日のコミックアカデミー27にて初頒布された、Gradierwerk のSF合同誌『多島海 Vol.1 特集:都市』に寄稿した巻頭言である。寄稿作品のサークル独占期間が(そういえば随分前に)過ぎたため、このウェブサイトのライセンスを適用して公開する。


都市の時代が再来している。戦後すぐの急増加を経て一九七五年頃から横ばいとなった東京都人口は、二一世紀に入ってから再び増加に転じ、郊外に戸建て住宅地がスプロールする光景に代わって、臨海部に林立したタワーマンションがこの街の日常となった。都心回帰は世界中で同様に見られる。ニューヨーク市の財政は七〇年代半ばに危機的状況を迎え、連邦ローンが発行されねばならなかった。サウス・ブロンクスは一〇年間に渡って保険金での投資回収を狙った土地所有者による人為的火災に焼かれ続け、また七七年に市域全体を襲った停電は一夜にして四千人足らずの逮捕者を出した。郊外化が都市を消滅させる、というビジョンが真剣な説得力を持った時代があった。現在の五七番通りに並ぶ「ペンシルタワー」たちを思えば隔世の感がある。

東京の人口が再増加し始めた二〇〇〇年代、時を同じくして日本国の人口はピークを打ち減少に転じた。これもまたグローバルな現象だ。OECD加盟国の合計特殊出生率平均は八〇年代なかばに二.〇を下回り、二年前に一.五を切った。人間に社会全体の再生産ペースを維持する本能はプログラムされていないらしいことが明らかになりつつある。国連は今世紀の最後の四半期に世界人口のピークを予測しているが、これは楽観的すぎると批判されている。悲観的予測はピークを今世紀半ばに置く。

再生産危機が全世界を覆うなかで都市が拡大し続けるには、旧来の政治的境界の内外を問わず広く移住者を吸い込み続ける他にない。これはグローバル化の進展によってすでに現実のものとなっている、というより、都心回帰をグローバル化の帰結のひとつであるとするのが社会学の見解である。情報化によって世界は均され、それはある種の一見逆説的な経済を介してむしろ集積を加速させた。都市に吸い込まれていくのは移住者たちだけではない。都市たちの間で動的に結節点を再編し続けるグローバル資本の運動は、世界の経済構造全体を再編していく。ニール・ブレナーは「プラネタリー・アーバニゼーション」という言葉によって、農村と都市を対比させる従来の地理学を批判した。農村なるものはもはや存在しなくなり、あらゆるものは都市またはそれと一体となったグローバル資本のサーキットに属していくこととなる。都市の奔流が惑星を席巻している。

私の自宅は西池袋にある。ダサインの季節になると毎年、近所のネパール料理店の陽気な音楽が窓から流れ込んでくるような場所だ。繁華街は風俗街から中国人街への転換を遂げようとしていたが、中国経済の急成熟によって景色は両者のモザイク状のまま宙吊りとなってしまい、公共放送システムはまるで引き際を失ったかのように中華料理店の前で存在しない客引きへの警告を繰り返している。自動販売機併設ゴミ箱の最前線はここ数年の間にも西へ西へと撤退し続け、ついぞ私の生活範囲から姿を消した。最近、西池袋の真ん中の大きな交差点に面して高層オフィスビルが完成した。それは次の二〇年に渡って計画されている西池袋再開発の序曲である。「ガチ中華」フードコートとして有名な友誼食府のある一帯も立ち退く予定になっている。中国人街は完成を見ることなく最新のオフィス・商業複合施設たちに主役を譲ることになるだろう。

この奔流は一体どこへ向かっているのだろうか。九〇年代の終わりに、西暦二〇〇〇年に向けた予言と前置きしたスピーチの中で、ブルース・スターリングは時代精神を次のように表現した。

「どこだかわからない場所に毎時一〇〇万マイルで向かっているような、あのじわじわとした不安感」(That gnawing sense that we’re on the road to nowhere at a million miles an hour.)

あれから二七年が経ったが、地球はますます加速していて、目的地は依然誰にも見えていないように感じられる。都市に関してSFを書くということは、今何よりも、この不安感の中でなお目的地を描き続けることなのである。